小林 横須賀にはもちろん残って居たんですね。
藤咲 そうです。始めて入った新兵の教育は横須賀で厳格な練習をさして見込みのある者をこちらによこした、それは今もやって居ます。二年の教程があってその間一週三回づつ音楽学校に通って居ます。
小林 日比谷の演奏会はどうゆうふうに……
藤咲 この頃は月一回か、二月、一回にやって居ます。曲目の一部を管弦楽、二部をブラスでやって居ましたが、そうするとブラスが強いもんですから、最初ブラスでやって一番終いにオーケストラでやる様になりました。最近はどうですかよく解りません。
小林 艦の上では弦楽をやりますか……
藤咲 普通は弦楽の配置はありません、遠洋航海や御召艦では儀仗が棒銃と一緒にブラスをやります。それから午餐、晩餐の時にはオーケストラでやります。
伏水 ベートーヴェンの第五を発表なすったんですね。
内藤 私が大正六年、家内を持った許りの時新橋の側に居たんですが、私にスコアーを持って来て、やれと云ふんですが、十五日間苦心したけれどもとうとうやれなかった。
松島 演奏しにくいのですか?……
伏水 それから軍楽長をおよしになったのはどうしてなんです?
内藤 大正六年十一月十五日、理由は年齢です。
伏水 其の後、先ほどもお話がありましたが、流行歌がだんだんはやって来た当時、瀬戸口さんの慨嘆時代とでも云ひますか、その時代の代の音楽に対してのお考へという様なもの…… (答えなし、はぐれる)