伏水 愛国行進曲を作曲なさる前後は、外出なさらなかったんですか
青砥 寝て居たんです。
内藤 息子が「そんな事を今更やんなさんな」と云ったそうですが、気持ちが違ふですよ。国家の為だと云ってやり出したんです。
京極 審査会でそれまでうんと撥ねてるんだ。方っぱしからピアノを弾いてポンポン撥ねて腐ってると、そこにあれが出て、是れだと云って非常に喜んで居る時など画になりますね。いいのが出て安心したんです。譜に名前は書いてないんです。ある程度までは目で見て捨てて、あるものはピアノを弾いて、是れはちょっといいと云ってのけておく。それでもあまりいいのがなくて腐って居る所へ突如あれが出てきて審査員が喜ぶんだ。それが十二月六日、月曜日午後四時半頃でしたが、秘密に譜をおったり、編曲をしたりして、十九日の晩までに間にあはしたんです。
内藤
瀬戸口さんは今日まで、沢山の軍歌を作られたり、今までの心掛の上で愛国行進曲が出来たのは決して偶然ではない。
大正六年の退官の時挨拶しやうとすると、すすり泣いてしまって、真の挨拶はしなかったんです。此の間、愛国行進曲の●●の時、あの七ツボタンの軍服を見て、泣いた。
伏水 内藤さん、瀬戸口さんが当選と決りまして、瀬戸口さんとお逢いになって、泣いて喜びあったと云ふお話を聞いておりますが、お宅に行らしたんですね。
内藤 十九日の晩決りましたが、二十日発表なので、二十日の朝の零時二分瀬戸口さんの家に行ったんです。その前に行くと内通したことになるから遠(以下空白)
京極 大体は六日に内定していたのですが、その後いいのが来るかも知れないし、二十日発表までは、全然秘密にして、それをマーチにしたり、印刷にしたり、作曲者の身元を調査したりするのに時日がかかるんです。実際にも審査はその後にもあったんですからね。
青砥 審査員達は外部にもれる事を非常に恐れてゐたんです。部屋を出る時はドーアに封をして、番兵を立てたり、大変な苦心をしたんです。 漏れたら、一番にすることが出来ないから。
小林 六日に内定して居たという事は発表してはいけませんね。
京極
日は必要ないでしやう。漠然としておいたらいいでしやう。
それから歌詩を作った青年が瀬戸口さんに出した手紙がありますがね、「貴方の作曲のお陰でつまらない歌が立派になった」と云う様なのが。
(これで終わりです)