吉本 戦争に行くと兵隊が軍歌を歌はないで流行歌を歌ふ。それを歌はないと士気が阻喪するといふ事を私の兄が満州に行ってるんですが、そふいってゐました。
内藤 流行歌は必要ですな。ジャズとは違ふんです。瀬戸口さんはジャズが嫌いなんだ。
小林 瀬戸口さんが鹿鳴館でピアノを弾いたのは、十六、七ですか?
青砥 明治元年生まれで、入隊が明治十五年ですから、二十位でせう。
小林 やはり軍楽隊が演奏していたんですか?
吉本 その頃は命令でさうしたんぢゃないんですか?
内藤 明治四十四年、東伏見宮が主催でダンスをやって、此方も十四、五人で行ったんですね。その時いただいた●備の●●なんか持ってゐますよ。オーケストラのやれるのは海軍だけだったんです。
吉本 話を聞いてみると、エッケルトの家に、家族同様にして生活してゐたらしいですね。
内藤 さうか、さうでなければ独●●かあんなに巧くないだらう。
伏水 軍艦行進曲は、軍艦を造るために献金しようといふ国民運動に感激して作曲なすった事は伺いましたが、敷島行進曲にさういふ動機はありませんか?
山口 あれは日清戦争のために作ったんですが、間に合はなくて日露戦争の時出来ましたね。
内藤 日清戦争の時小沢さんは大砲を撃って勲章を貰ってゐるんです。海軍軍楽隊が理想になったのは先輩のおかげで、仕事を大きくしますよ。音楽ばかりぢゃなく、鉄砲も捧ぐ。さういふ戦争の事をやらなければ駄目なんです。
山口 そうですね。僕も軍事練習艦隊で行った時は部下をどんどんやらせましたね。知らない人はとかく軍楽隊は楽をしてゐると思ふんですが、そういふ観念から先ず破らなければならないと思ふんです。その方が乗員の方にも軍楽隊の人にもいいんです。便乗してると思っては行けない。戦闘員の一人だといふ事を思わせなくちゃいけないと思ってやらせたんです。