小松 山田耕筰さんが瀬戸口さんに贈る曲というのをやってますね。
青砥 それから大正十四年まではどうしたか分からなかった。放送局が出来るやうになってから関係して小さなものは瀬戸口さんがやってゐた。
内藤
あの引退記念の時は小倉さんがベートーベンの一番コンチェルトをやって、樋口信平がバスを歌った。
(lzfelt注:大正六年十一月四日(日曜日)午後零時三十分、帝国劇場で行われた「瀬戸口軍樂長告別 音楽大演奏會曲目」を見ると、小倉末子さんはグリーグ作曲ピアノ独奏管弦楽付司伴樂(短い調)第一樂章、樋口信平氏はアレヴィー作曲バス独唱管弦楽付き・歌劇ユダヤの女」の一節と表記されている。内藤氏の記憶違いか、演奏曲目の変更か、不明)
青砥 その人は大正十年に死んだんです。
内藤 たしか、ザルコリーも出たね。
青砥 ラ・ドンナ・エ・モビレを歌った。
(lzfelt注:同資料では、プッチーニ作曲、テノル独唱管弦楽付き、歌劇トスカ「星も光ぬ」の歌)
内藤 その時、山田耕筰さんが瀬戸口さんは何から旋律を採るかと聞いたら、琵琶歌だよと云った、といふ事を聞きましたね。
小林 帝劇の演奏会は軍楽隊でやったんですか?
内藤 瀬戸口さんが現役の告別演奏で、大したもんだったんですよ。五月の吹き流しみたいな旗を立てて、帝劇から日比谷まで行列が続いた。それは室内音楽から庭園音楽へ続けるといふ風にしたんです。運悪く雨が降って演奏は出来なかったんですが、写真だけ撮ってあります。
京極 瀬戸口さんが、いろいろな音楽や作曲に対する態度は、いはゆる楽壇の人の考へとは随分違っていたと思います。私の相手は常に国民であつて国民の興味のあるものでなければやらない、といふ終始一貫の態度でしたね。だから常に国民の好む音楽をやりたい、音楽が相手でなく、国民が相手である。それが自分として誇るべき事だといってをられました。
松島 少し前に流行歌の堕落といふ事も、愛國行進曲の出来る原因となったでせうね。流行歌の堕落も大きな問題ですね。
内藤
ジャズ流行歌が余り流行って、英國のある艦隊の艦長、司令官以下止めるといふまで問題となった事がありますね。
この間、私が「足柄」で行った時は、今度は儀礼が主な任務であるから、と思って行った。それにイギリスでもドイツでも、ああいう邪道音楽をやってゐるのは不都合だと思った。あれは要するに日本の四帖半の音楽だと思った。