瀧村 軍艦マーチを作られる頃のお話を聞きたいと思いますが…。

内藤  恐れ多い話ですが、あれが出来たのは明治天皇のおかげだと思います。日清戦争の時、大本営で海軍でも軍歌を歌へ、といふ事をおっしゃった時、海軍にはなかった。陸軍では出来てをった。それで海軍も競争になって作ったんです。今日作って明日の晩は陛下の前で演奏したんです。作曲なんかすると生意気だと思われてゐたのが、その明治天皇のお言葉で瀬戸口さんが作ることになった。今度「愛國行進曲」の曲の応募者は一万あったけれども、あの人程真剣になった人はないんです。その真剣さは既に軍艦マーチを作る時からのものなんです。
 昭和十一年五月、少年鼓笛隊を作られたのは、あの人が流行歌を聞くのが気持がわるいから正しい唄を作らなければならんというので、●●その精神でをられた。現在使用の海軍の軍歌は殆ど瀬戸口楽長作曲のものであります。

山口  私も思い出すんですが、明治天皇が洋楽よりも日本音楽に対して非常に心を惹かれておられた。それで、洋楽器で日本音楽をやれるかといふことを気にしてをられた。そしてやれるなら日本固有のものをやれといはれ、その度陛下の御旅行の時なんかは日本音楽を随分やったらしいんです。軍はやらないんですが、さういう話を親父に聞いたんです。既に日本で作曲されてゐた音楽の中のいいものを先づ軍楽隊でやってみて、それが出来るやうになってから、日本人に向いた作曲を更にやってきたという経路をとったものぢゃないかと思はれます。その中のヒットした、といふか、大きなものが軍艦マーチだと思いますね。

内藤  もう一つ、作曲学の事ですが、一本我田引水のやうですが、これは海軍が一番早かった。吉本さんのお父さんが、洋行から帰られてからは、二人で殆どやってをられた。それからドイツ語の巧かったのは吉本さんのお父さんと瀬戸口さんで、音楽学校の中でも瀬戸口さんほどドイツ語の会話の巧い人はなかったですよ。またあの人程和声を知ってゐる人はなかったから、ああいう凄いハーモニーが出来たんだらうと思いますね。  愛國行進曲の第一テーマは、小供の世界、中間部は父母の愛、後部は全般の力を現してゐると思ふんです。だから、あれは、ある意味において日本の為に神がやらせたんぢゃないかと思います。達者なものでさへ、なかなかやり遂げる事は出来ないのに、あれだけの老人で、しかも病床にゐながら出来たといふことを考へてもさう思いますね。

山口  瀬戸口さんを主人公にするのは支障があるんですか?

瀧村  それは、此処だけの話ですが、女とのロマンスなど、嘘でも作らなければならないだらう、それがなければ活動写真にならんのだろうといふ御心配からでせうね。それは此方の意志を、はっきりお伝えできなかった前の話なんだらうと思いますが…。

 

 

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