近代以前、すなわち前近代に完成された組織形態と、近代後に完成された組織形態では

異なる部分があります。

 例えばお店。本屋とか魚屋とかお店があり、そこで働いている人達は「○○屋の店員さん」→「○○屋さん」と

呼ばれます。これが前近代に完成された組織形態です。

 お店がお店であるときは、基本的にその店の主人がほとんど全てのことをやります。

 商品入荷の最終決断、店員の教育、売り上げ会計の申告、狼藉者への応対などなど。

 しかしお店が大きくなって企業という近代後に出現した組織に近づくにつれ、主人は最高責任者と

なって全体の方向性を決めるだけになり、上記のことがらは担当者が割り当てられ、責任が分散されます。

 そして、「兵隊」と「軍隊」の違い。

「兵隊」は本来、組織を指します。そして一人一人の兵士が「兵隊さん」と呼ばれるようになるのですが、

この集団には、基本的には戦闘員しか存在しません。常設部隊と臨時部隊の違いといいますか。

「軍隊」も組織を指します。しかし、戦闘部隊単一の集団ではなく、戦闘員以外にも、衛生兵、通信兵、

憲兵、輜重兵、間諜そして軍楽隊のように、実際に前線で戦闘行為を行わない部隊も、常設組織として存在します。

(古代から現代までのあらゆる時代に、「○○軍」という呼称は現実に存在していますが、「○○勢」という感じかな)

 前近代の兵隊では、英雄や豪傑をどれだけ召し抱えることができるかが強さの象徴となります。ですので

「一番乗り」や「敵の首級をどれだけ挙げられるか」が武功の基準になりますが、近代後の軍隊では、

きちんと命令された行動をとり、組織としての戦いが出来るように教育されます。この組織では個人の抜け駆けは

きつく戒められます。

「(音)楽団」というものが前近代に完成された組織形態なのは、言うまでもないでしょう。「工房」なども、そう。

では、近代後に完成された集団創作集団には、他にどんなのかあるでしょうか?

すぐに思い浮かぶのは、テレビや映画ですね。

「音楽屋さん」という呼び方があるとすれば(聞いたことないですが)、呼ばれた人は当然音楽家でしょう。

しかし、「テレビ屋さん」という呼び方は「テレビを専門に売るお店の人」もしくは、放送局の人、番組製作会社の人、

監督、俳優、脚本家、その他大勢の総称としての意味で呼ばれるでしょう。「映画屋さん」も似たようなもので、

概念として使われている。「業界人」という言葉のほうがよく聞かれます。

 となれば、企画を立案するプランナー、資金を集めるプロデューサー、劇場関係者、広報宣伝担当者といった、

非演奏者をも「音楽屋さん」と規定できるような「(音)楽団」の近代化をしなければ、近代後の現代に

経済的にも社会的にも成功するはずがありません。

 自分の必要最低限の収入が得られればとりあえず良し、とする個人演奏家が40、50人集まったところで

現代に求められている「企業の成功」には、絶対に辿り着けないのです。

 

 第二次世界大戦が起こる前、日本が国家総力戦を経験したのは、1904年の日露戦争の規模です。

しかし、欧米は1919年の第一次世界大戦で、戦車、化学兵器、プロパガンダ、諜報戦を経験していた。

だから1939年に第二次世界大戦が始まり、1941年に参加した日本の総力戦の認識はどうしようもないほど

低いものだった。

 食料の調達一つとっても、前近代的な兵糧を抱えての出陣、その兵糧が尽きれば現地調達という常識が

「輜重部隊も兵隊ならば、蝶々トンボも鳥のうち」などどいう言葉に表されて海上輸送の軽視となり、

現地調達が不可能な地域で、近代戦を経験したアメリカ軍の輸送船撃沈優先の方針により、

戦闘死や戦傷死ではなく、飢死・病死で死んだ兵士が膨大な数にのぼった。

 現代の日本の演奏家や演奏団体が、実力が無かったり低かったりして経済的困窮を招いている、

今回の例で言う「戦闘死」に近づいているのか、

演奏家や演奏団体が資金の調達、今回の例で言う食料の調達の軽視による餓死に近づいているのか。

 そして世の中が、目の前の敵を殺すことだけを考えている兵士・目の前の音符に命を吹き込もうとする人達だけでなく、

武器弾薬食料の調達にも少しは思いを巡らせることを・自分の収入のことに少しは思いを巡らせる人を音楽家だと扱うことが

当たり前のことだと思わないのか、思うのか。

 前近代の組織は立ちふさがる敵に勝てば良かったが、近代後の組織は、「世論」に勝たなければならない。

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