プロのオーケストラの人達の中には、楽団の運営難を語るときに

「行政がもっと援助してくれないと。ヨーロッパでは当たり前のことなんだから」と発言します。

しかし、この言葉をいう日本人演奏家のどれほどの人数が、ヨーロッパの伝統的な、

しかも様々な形に変化する「パトロン文化」を知った上で発言しているのでしょうか。

 まあ私も専門的に調べてきたわけでもなく、講談社から出版された

「近代スポーツの誕生」松井良明著 講談社現代新書1512を読んで教えられたのですが、

産業革命以前の(産業革命後でもその恩恵の及ばない地域)国や地域の支配階級・ジェントルマンは、

莫大な生産力を持っている者たちで、産業革命以前ではすなわち地主です。

国王、貴族、寺院の経済的基盤は、要の東西を問わず生産力を土地から計算しています。

 ジェントルマンとその土地で働く労働者との関係は、強力な上下関係がある反面、共同体意識も作ります。

「お国自慢」みたいな感じでしょうか。両者の関係が上手くいっていない場合には支配ー被支配関係として

対立しますが、関係が良好なときには、「家父長制度」が機能します。

 例えば教会の儀式、収穫祭、村民の冠婚葬祭といった儀式に、直接顔を出すことはなくても

お祝いを出したり、御祝儀を出したりと、無関係を決め込むわけにはいかないわけです。

 そして両者の望むことがらが一致するとき、ジェントルマンが下々の者達と一緒の場所でそのことに熱中し

我を忘れることも、日常的に起こっていたわけです。

 すなわち、気晴らしとか、名誉とか、感情移入といった意味が含まれた、広義の「スポーツ」です。

 この本では闘鶏や拳闘の歴史を追っていくことで、それらの原型が「血塗れなスポーツ」であり、

その時はジェントルマンからゴロツキまでが一緒になって熱中していったが、価値観の変化がジェントルマンを

血塗れから引き離していった、文化の変遷を語っているのです。

(産業資本家の、均一労働力の供給要請が、現在で言うフリーガンのような集団を生み出す土壌である

「血塗れのスポーツ」を排除する考え方が世の中を覆っていきます)

(血塗れになることは避けられないのに、あえて逃げずに立ち向かうことが名誉とされていたのです。

シャーロック・ホームズが拳闘の達人でもある事が思い出されます)

 ここからが私の商道徳的な解釈です。

「血塗れ」が野蛮とされ、「洗練」された近代へと価値観が移っていくときに、

「持てる者が持たざる者に施しをすることは、当然である」という運命共同体の考え方から、

「貧困は怠惰の結実である。貧困とは忌むべきものである」という産業資本家の論理になるわけです。

 そして産業革命がイギリスからフランス、ドイツに広まり、「貧困=悪」の図式が帝国主義思想の土壌と

なっていくわけですが、日本ではベンジャミン・フランクリンやワシントンの伝記などから

「勤勉を基とした富の蓄積」というそれ自体の魅力と、政府の「富国強兵」政策が結びついて

日本の近代史がスタートするわけです。そして1980年代のバブル経済による「フリーター」が

出現するまで、120年近く「貧困=悪」という社会常識に追いかけられて経済効率主義に突き進んでいました。

(1960年代の高度経済成長期に「アルバイト」が社会に認知されたため、当時の学生達が主力となって

「小劇団」が盛り上がり、現代日本演劇の活力が生まれた、という人もいます)

 つまり、流通を除く非生産業に就くものは世間から非難され、歌手や芸能人、作家や役者になりたいなんて

言おうものなら、親から罵倒されていた時代なのです。あの頃は。

 もちろんブラウン管やスクリーン、紙上や舞台で大活躍をしている人達は大勢いました。が、

「あれはあの人達が才能があるから出来るんだ。お前にそんな才能があるか?○○で飯が食えるか?」

「自立して、結婚して、子供を作って、家を建てて、子供を不良にさせずに成人させられた者が成功者」

「勉強して、いい学校に入って、いい会社に就職しなければ幸せになれない」

「身の程をわきまえろ」といった社会常識に対して真っ向から立ち向かい、闘ったのはフォークやジャズ、

ロックといった、その当時には「不良の音楽」と言われたジャンルであり、現在でもそれらは

「行政からの援助を」なんて言わずに個々に活動しています。(興業組織との強い結びつきは

ありますが、あくまで人気・実力勝負であり、負ければ終わり。行政は援助する「べきだ」なんて

偉そうなことは言ってません)

 しかし、その時期に管弦楽団や吹奏楽団は社会的に何をしていたんでしょう?

 私が知らないだけで、何かはしていたんだと思います。

 何事か実績はあるはずなんだからその実績を「使う」という発想がないのでしょうか?

 そしてまた日本の歴史、明治時代以前を調べて、時代や地域の実力者がどのように特定の

個人・血筋だけでなく「文化」を援助していたかを調べ、その話を持ち出せば「ヨーロッパでは」なんてことを

言わずにすむでしょう。

 結局は不勉強・傲慢さだけの露呈になってしまうので、職業音楽演奏家といえども歴史・文化・教養の

勉強は必須でしょうね。行政が援助をしてくれないのは経済的な理由なのか、社会の合意が問題なのか。

 経営の努力というものは、まずそれを知ることから始まるのだと思います。

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