太平洋戦争の中期頃まで、大日本帝国の皇軍の中で、作戦立案と戦闘以外の部門が軽視されていたのは、有名です。

「輜重部隊も軍隊ならば、蝶々蜻蛉も鳥のうち」と言われていたのは有名ですが、今回は情報のお話。

 攻め込む作戦を立てるとき、成功したときの成果と自分たちの出せる兵力とを計算し、プラスになると思えば

敵が作戦阻止のために繰り出して来るであろう兵力を予想し、出撃の部隊数を決める。

 ここまでは、皇軍もやっていたようです。

 予想される戦闘地域がどんな状態なのか(例えば沼地だったら、戦車やトラックは使えない、とか)を

調べずにいたのは有名な話ですが、敵兵の員数を考慮しなかったのもあるそうです。(主に陸軍)

 敵が防衛のために五個師団出すだろう、ぐらいの情報を仕入れはするのですが、

その兵力構成を自軍の兵力構成を基準に考えるので意味がなかったそうです。

 例えば、我が軍は50台(デタラメな数字です)を基幹にしているから、その五倍の250台か、と考えて

六個師団を出撃させます。

 しかし、実は敵軍の一個師団は戦車100台(デタラメな数字です)を基幹としていたため、500台の戦車が現れたため、

300台しか出していない自軍は惨敗。部隊長が怒って「無謀な作戦を立てやがって!」と司令部に怒鳴り込んで

みても、「敗軍の将が責任をこちらに転嫁するのか!」と一喝されて終わり。

 負けたのは全て部隊長の責任だとし、情報と現実を照らし合わせて正確な判断をしないままに

次の作戦を立てる。これでは勝てるはずはありません。

 まぁ昔のことは昔のこと。今では違うさ。←ホントかな?

 

 フレデリック・フェネル氏の「ウィンド・アンサンブル」提言に賛同した作曲家たちが、人数を指定した曲を作る。

 パート間での演奏人数のバランスというデリケートなところに吹奏楽が踏み出したわけですが、日本では

上っ面な部分しか入りませんでした。

 結成されたばかりの吹奏楽団が、このパートは何人必要、このパートは何人、と募集をかけ、人数が揃ってから

その曲をやります。

 しかし作曲者にしてみれば、自分の作った曲のこのパートの、

一番高い音(最高音)、一番低い音(最低音)、一番長い音、一番早い刻みやパッセージ等々が全て演奏可能で

初めて「一人」扱いしているのですね。

 しかし日本の吹奏楽団では「こんな高い音、出せないよ」とか「このフレーズ、指が回らない」とかとか、

「ここは吹けるけど、ここは吹けない」という人材ばかりで、作曲者の指定している能力人数をクリアしている楽団よりも、

頭数としての人数をクリアしているにすぎない楽団が、あ〜っとう的に多いわけです。

 で、演奏者のほうが「この曲、吹けない」と指揮者や選曲者に言うと、どうなるか。

「一生懸命練習して、吹けるようになれ」

 なぜか。

 日本では、自分の所属している集団の、内部情報収集をあまりやりたがらない。

それをすると、演奏能力の高低が、その演奏者の人間性の高低として混同されてしまうから。

 

 目的達成を前提として戦争は行われますが、演奏可能を前提として行われる練習も、

正しい情報の取り扱いと、予想に反した不本意な結果に終わった際の総括の仕方、

あまりに日本的というか、変わっていないというか。

 こんなんで、日本吹奏楽は発展するのか?

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