岩波書店の新書で内田義彦著「読書と社会科学」の中で、同じく岩波書店のジュニア新書、
一海知義著、「漢語の知識」に書かれている面白い話を紹介しているのですが、
「漢語の知識」のほうは絶版になってしまっております。ですので、「読書と社会科学」を読んだ範囲内で。
「勉強」という言葉が現代日本でごく普通に使われています。
この言葉の使われ方は、例えば親が子供に「勉強しなさい!」といった感じで学問に通じるものがあります。
そしてその親が買い物に行って、商店の店主に「勉強しなさい!」と言ったとき、店主に「学問に励め」という
のではなく、「値引きをしろ」という意味で使われています。
内田氏は「学問に励む」と「値引きをする」の間に関連性は無いと書いていますが、私としては
「その値段ではお客は満足できないから、もっと社会に受け入れられる値段にしなさい。世の中を知りなさい」
という感じかなあと思っておりました。
しかし、一海氏は現代・古代問わず中国語を調べてみまして、「無理をする・無理を強いる」という意味で
「学問」と「値引き」が結びつけられることを突き止めました。内田氏もただちにこの事実を認めています。
つまり怠惰になりがちな向上心を叱咤して机に向かわせる方向で「学問に励む」となり、
これ以上値引きしては利益がなくなる。けど、そこをなんとか無理しよう、我慢しよう、が「値引き」になります。
さて、ここからが私が発展させて。
知識が知性や教養そのものではないのですが、知性や教養は知識なしにはあり得ないという気がします。
元の意味を知っている人と知らない人の差。
知っている人とはすなわち、自分で調べたか人から聞いたかで、外からの情報に依存します。
しかし知らない人は、自分で勝手に理由を作ってしまうのですね。
「Brass Bandとは金管バンドのことである」という連中の意見は、自分の知っている情報「だけ」で判断して
います。しかし、下のこんな言葉を知ったら、どう思うでしょうか?
「可哀想だね兵隊さんは、金(かね)のお椀に金(かね)の箸」
これは私が戦前から続いている陶器店の店主から聞いた話です。
その陶器店では昔からレストランや食堂に大量の陶器を納入していたと聞いたので、
戦前・戦中の軍隊にも納品していたのでは、と質問したとき、上の言葉(都々逸?)を
教えてくれたのです。つまり軍隊では金属製の食器を使っているため陶器業者が軍隊に納品することが
出来なかったそうです。
そのため兵隊が陶製の食器や木製の箸といった、食器の材質の触感・視覚を楽しむことが出来ないため
「可哀想だね」と歌っていたと言うことです。食器の触感・視覚を楽しむという視点は、マンガの「美味しんぼ」でも
度々触れられていますが、まあそれはともかく。
兵隊さん→軍隊が金属・鉄という発想は、なにも近代以降の日本だけのものではなく、
世界各国に共通するものです。鉄壁の陣、鋼の身体等々。
また現実の軍隊に対する反語、オモチャの兵隊を表現する言葉として、鉛の兵隊とか、ブリキの兵隊という
言葉があるように、兵隊を表現する方法に、強度別の金属名を使うことはごく自然なことなわけです。
ならば、軍楽隊を表現する方法としてどんな金属が相応しいか。またその楽隊に木製楽器が含まれることが
おかしいか、おかしくないか。
「Brass Bandは金管バンドである」というシニフィエとシニフィアンの結びつき自体は自然なことですが、
そぐわない現実を無視し、否定するだけの輩が真の教養を持つとか、知性の持ち主だということは、
絶対にあり得ません。
そしてこのことが現代日本の吹奏楽の現実なわけです。