作家の村上龍氏の意見に、人間の行動原理は快楽を求めるものと安心を求めるものがる、というのがあります。
音楽にあてはめて考えてみれば、安心を求める音楽こそ、技術が優先され、知っているメロディー、
馴染みのあるメロディーでおさらい会や学校の音楽の授業のような演奏が求められるのでしょう。
その演奏会に快楽指向の演奏を求める者がいた場合、どうなるか。
耳をとろけさすような・心に響く・思わず身体が動いてしまう・感動のあまり涙が出てしまうような、
つまり衝動が押さえきれなくなるような音楽を求めている人にとっては、退屈きわまりない時間になるでしょう。
推理小説作家の島田荘司氏の小説の中に、
「どんなに複雑怪奇に見える事件だって、結局は単純な要素が絡み合っているにすぎないんだ」というような
記述がありました。
知識や構造といった要素を知らなければ名曲はできない、というわけではありませんが、
名曲や大曲といわれている曲はそれらの要素で因数分解が可能です。(それがアナリゼですな)
それらは知性によって発見できます。
そしてそれら要素でできあがったものに、めくらましと言うと言葉は悪いですが、魅力が付加されるわけですね。
推理小説では「おどろおどろしさ」なんかが魅力の一つです。それらには感性が必要です。
音楽の合奏練習の中で、知性を磨く(仕組みを見破る)ことを念頭に置いた練習方法と、
感性を磨く(魅力的とはどのようなものなのか)ことを念頭に置いた練習方法が、どれだけ採用されているでしょうか?
少なくとも日本の伝統芸能では、美しさの基本はきちんと定義されています。基本以上のことは人によって様々ですが、
少なくとも初心者に対しては、初心者にも解るような簡単な言葉で、なるほどたしかに美しい、と思わせるぐらいのことは
どこでもやっています。だからこそその基礎を根底において美しさを発展させていくわけですが、さて西洋音楽では
どうでしょう。