人は思春期を迎えると、気になる人、好きな人ができます。ところがそのとき、
全員が全員「その人を好きになる」わけではなく、「恋に恋する」という人もいます。
つまり、「恋したくて恋したくてたまらない、自分も恋人が欲しい」状態になって、
相手の現実ではなく、見た目・印象だけでアタックしてしまうことが、方々で見られます。
で、重要なことは、そういう「恋に恋する」という心理状態は実社会では
「あまり良くないこと」視されているのですね。
先日題名を読まなかったのですが、とある本で信心についての意見を読みました。
「世の中では信仰というものは、信じるに足る神様や教団と出会ってから入信する者だという思いこみがある。
しかし、少なくとも日本の歴史の中には、初めは無形な「何でもいい、信じたくて信じたくてたまらない」欲求とか、
本当に困ったことが起きたとき「何かに祈らざるにはいられない」という心理状態が先にあり、
自分でご神体を創ってしまうとか、そのときに目についた宗教に入信してしまう、ということもあった。
そういう場合、その人の神様のイメージとその神様の実体がかけ離れていることがわかった場合、
棄教も当然だし、その神様を攻撃することも当然であった」
とまあ、こんな感じの意見です。
自分の身に悪いことや不幸せなことが降りかかった場合、自分の不信心が原因だとは考えずに、
守ってくれなかった神様に怒るという、たくましい考え方を持っている時代があったのですね。
さて、音楽の場合はどうでしょう。
個人演奏やグループ演奏、小説やマンガの中では
「音楽を演りたくて演りたくてたまらない!」という渇望が先にあって、それから曲を演奏しはじめることは
よくあるのですが、団体演奏たる吹奏楽で、そんなドラマチックな展開は多いのでしょうか?
名曲・大曲があって、それを演奏してみたくてたまらない、というパターンはどこのバンドの選曲会議でも
見られることでしょうが、そんな具体的な欲求ではなく、形にならない「演奏欲」を形作るための
吹奏楽団は、日本に存在するのでしょうか?